赤礁松ヶ瀬台場跡(あかぐりまつがせだいばあと)

幕末、現在のおおい町にある大島半島に外国船から小浜の街を守るために作られた大砲をすえる砲台の跡

観光地の詳細情報

砲台が出来た頃の日本の情勢

赤礁松ヶ瀬台場が築かれたのは、アメリカ東インド艦隊司令官ペリーが率いる蒸気軍艦4隻が浦賀に来航した翌年といわれています。

校倉づくり風の外観が特徴的な暦会館
(C)福井テレビ

18世紀後半以降、欧米の強国が東アジアに進出し、ロシアも千島列島を南下するなど鎖国を続ける日本の近海に異国船がしばしば出没するようになりました。 これを憂慮した江戸幕府は、諸藩に沿岸警備の強化を命じました。

松ヶ瀬2号台場は赤礁崎オートキャンプ場内に復元された
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歴代小浜藩主は幕府の要職にあり、また、若狭が都を防御する要衝であることから、他の藩に率先して藩内の海防体制を整え、敦賀杉津浦から高浜内浦に至る約30ヵ所に台場を計画・築造したのです。

沿岸警備に備え設けられた大砲
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