称念寺(しょうねんじ) 新田義貞(にったよしさだ)公墓所

灯明寺畷で討たれた南北朝時代の武将、新田義貞の亡がらを葬ったとされ、その墓所がある寺

観光地の詳細情報

時宗(じしゅう)の寺

称念寺は、もともと奈良時代に泰澄(たいちょう)大師によって創建されたもので、鎌倉時代には一遍上人が広めた時宗の寺になりました。

新田義貞が眠る称念寺
(C)福井テレビ

新田義貞は、越前に下向した際、時宗の陣僧を伴っていたといわれ、また越前の時宗の中心的な存在であった称念寺を訪れたともいわれています。

新田義貞公墓所
(C)福井テレビ

『太平記』によると、義貞が戦死した知らせがすぐ寺に伝えられ、時宗の僧8人が義貞戦死の地に向かい、遺骸を称念寺に運んだとされています。

また称念寺は、明智光秀が妻子とともに身を寄せていたこともあり、後にそのことを松尾芭蕉が“月さびよ明智の妻の咄(はなし)せむ”と詠んだ句碑が境内に建てられています。

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