水戸浪士・武田耕雲斎(こううんさい)等の墓

敦賀にある、尊皇攘夷の先鋒として活躍した水戸浪士・武田耕雲斎をはじめとする浪士764人の墓

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幕末の攘夷派・水戸天狗党

幕末の動乱期、水戸藩の尊攘派が筑波山で挙兵し越前敦賀郡で鎮圧されました。この同藩の尊攘派を「天狗党」と称し、争乱を「天狗党の乱」と呼びます。

京の都を目指した水戸天狗党が通ったルート.
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天狗党の中心人物・藤田小四郎は、1864年(元治1)幕府に攘夷を迫るため筑波山で挙兵。その後藩内保守派の諸政党との抗争に敗れ、攘夷運動にも失敗したため、元家老・武田耕雲斎を首領として在京中の一橋慶喜を通じて朝廷に訴えるために京都へ向かいました。しかし、耕雲斎一行は敦賀市葉原で加賀藩に捉えられ、鯡(にしん)蔵に閉じ込められたあと処刑されました。

水戸浪士・武田耕雲斎
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捕らえられた水戸浪士たちが閉じ込められたニシン倉
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処刑後に埋葬された敦賀市の墓所は、「武田耕雲斎等墓」として国史跡に指定されています。

武田耕雲斎等の墓
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